December 30, 2008

今年ももう終わりますが・・・

どうもこの二年ほど調子が悪い。
具体的にどこかが悪いというのではなく、強いて言うならば心が荒んでいるのだろう。

原因はもちろん泉水さんの天国への旅立ちである。

「何を気を弱いことを言っている!」とお叱りを受けるかもしれないが、こればかりはファン心理というのだろうか、実際のファンでないと体験の出来ない心境である。

心に傷を負ったまま、今年も順調に働いていたが、なんと今年の9月に、首のねんざ(頸椎症)を起こしてしまった。
首からは様々な神経が出ているが、私の場合、最悪にも右手の神経であった。

良く冗談で「黄金の右手」と呼んでいたが、その黄金の右手が動かなくなったのである。

それからは苦痛の日々であった。

とにかく3週間ほど仕事から離れて、治癒を待ったが、とても治りそうにないので、仕事に復帰した。
もちろん右手は、私の仕事の心臓部であり、そこに常に痛みを抱えていると言うことは非常な苦痛であった。
整形外科のみならず、ペインクリニックにも行って痛みを取る努力をしたが、結局は時間のみしか有効な治療薬はなかった。

最近になってようやく痛みという物を意識しないで仕事が出来るようになったが、それまでは毎日が苦痛の日々であった。

正直言って早く仕事を辞めたかった。
今まで出来ていたことが、出来なくなったのだから私の気持ちは分かってもらえるだろう。
右方向に手を動かそうと思えば「痛い!」と感じ、左方向に手を動かそうと思えば「痛い!」と思うのだから満足に手を動かすことなどで来やしなかった。

ただ、幸いなことと言えば、わたしの作った物を客観的に見てくれる人がいて、その人から常に「大丈夫です」と評価を受けていた。

それとこれは不幸なことかもしれないが、3週間も休むと仕事の依頼が急に減って、回復してきたらもう年末で、仕事も終わりであった。

現状では二週間に一度のステロイドの筋肉注射だけで痛みという物はほとんど感じなくなった。
ただ右手の人差し指は未だしびれたままで、これは治りそうにないので、長い時間がかかるであろうが、自然と治るのを待つしかないと諦めている。

多分、症状が出始めたあの頃の痛みが三ヶ月続いていたら、精神的にも病んでいただろう。
ただ、人間の体の回復力という物はすごいもので、具体的に痛みと感じられていた物があったので、それが時間が経つにつれて徐々に楽になっていくのを感じられたおかげで、じっと我慢して、痛みが許容範囲内に治まるのを待てた。
もちろんステロイドの注射も定期的に行ってではあるが。

そう言うことで、去年は心の痛み、今年は腕の痛みと、二つの強い痛みを二年連続受けてしまった。

しかしそれでも我慢したのだから、もうすぐ来る来年はきっと痛みのない良い年が来るものと信じている。

「二度あることは三度ある」という諺があるが、ここに書けない三つ目の痛みはもうすでに受けているから大丈夫である。w

来年はもう坂井泉水さんの三回忌の法要で、なにやら行事があるようだ。
それまでに心の傷も、体の傷も、財布の傷もw、すべて癒すつもりである。

すべてとまでは言わないが、いくつかがよい方向に向かってくれる来年を信じて、今年までの痛みとはサヨナラだ。

来年こそ良い年でありますように・・・

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October 01, 2006

いじめかいじめでないか?

ちょっとこの記事を読んでしまったので書く。
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061002k0000m040106000c.html
ここに書いてあるとおりの事件が起こった。

さて問題は教育委員会の言葉である。
「無視が陰湿ないじめではない。」

バカなことを言うな!
まだちょっかいを受ける方がましなときがあるはずだ。
無視ほど陰湿ないじめはない。

こんな小さな子供がそこまで追い詰められているのには何か理由があるはずだ。
そして残された遺書にはその動機まで書いてある。
「みんなに無視された」と。

それで正常に学校生活を送れるのか?
もちろん答えはノーである。

今の学校と言うところは事なかれ主義というか、
表だって何も問題がなければよいと思っている。
そう言う学校の態度を正しく導くのが教育委員会ではないのか?
それが、教育委員会の人間が「無視は陰湿ないじめではない」と言っている。
あきれたもんだ。

私の家の近くの中学校でも結構深刻ないじめがある。
そのために半分ほど不登校になってしまった子を知っている。
だが、その子は強く、必死になって学校に行こうとする。
いくら学校に実態を言いに行っても、
担任は表面的には何も起こっていないので取り合ってくれない。
いや、取り上げるのが面倒なんだ。
今の先生は、恩給がもらえる歳まで先生でいれたらそれでよいと思っている。

そう言う先生や、この問題の事件にコメントしている教育委員会のように、
もはや学校は個人を救ってくれるところではなくなっている。

とにかく少なくとも、この教育委員会は狂っているとしか思えない。

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January 14, 2005

遺伝子障害児

遺伝子に障害を持つ子は、実はかなりの確率で存在するのだ。
ただ、ダウン症候群のように、あからさまにわかってしまう子もいれば、
外見上も、実際に接してみても、その障害がわからない子もいている。

今回は、まずはダウン症候群の子供にスポットを当ててみる。

最初に断っておくが、別に私は専門家でもなんでもない。
だから、専門的なことで間違っている可能性もあるので、
万が一、大きな間違いがあれば正してほしい。

今の世の中、遺伝子障害児が多く出生されるのには、皮肉にも、医学の発達が陰にある。
昔なら、その障害によっては、生まれてきて一週間以内に死亡する子も多かった。
ところが、今の医学は、そういう子供たちも助けてくれるようになったのである。

じゃあ、それが不幸なことかと言われれば、非常に結論は難しい。
もちろん、生物につきものの自然淘汰と言うことを超えて、人間は人の命を救う。
これは単に救うだけでなく、生涯を医学が見守ってくれると言うことである。
特に、ダウン症候群に関しては、もちろん偏見は多いが、一般社会で暮らしていけると言うことが、
現在の医学の常識であろう。

もちろん、彼らは、一見、知恵遅れにも思えるが、実は教育次第では、大学さえも卒業できる。
確かに、その陰には、両親なり身内、そして近所の人たち、広く言えば社会の理解が必要である。
残念なことに、日本では、その土壌は希薄である。

日本という国は、伝統的に、古い過去であるが、いわゆる奇形児などを出産すると、
産婆さんがそっと命を絶ってくれて、母親には死産だったと告げるという、悪しき風習があった。
極論だが、そういう子供たちを受け入れる社会がなければ、それはそれでよかったのかもしれない。

しかし、近代国家である日本で、そう言うことは絶対に言ってはならないことである。

日本の医学水準では、遺伝子障害の子供を、長く生かすことができる。
ただ、日本でまだまだ未発達なのは社会である。
遺伝子障害児を忌み嫌うというか、あまりまともに相手をしたくない人も多いようである。

でも、たとえば、ダウン症の子供なら、教育次第で、最終的には大学も行け、一人で生きていく力を付けることも可能である。
それなのにうまく生きていけないのは、日本の社会の成熟度が足らないところに原因があると思う。
つまり、理解できていないのである。

確かに、子孫を残すという生物特有の行為ができないのは大きな欠点かもしれないが、
今の世の中、自ら好んで子孫を作らない人も多くいるではないか。
だから、その大きな欠点も、あまりクローズアップしてみなくともよいと思う。

少なくとも、この世に生を授かった子供は、その生涯を全うする権利がある。
その権利をじゃまするのは無知な知識で固められた社会である。
実際に、そう言う面では先進国のアメリカなどでは、ダウン症の子供など、特に注目に値しないのである。
これは良い意味であって、よけいなお節介はしないが、必要な手助けはするということである。
だから、アメリカでは、ダウン症の子に必要な教育は別に受けさせても、
通常の扱いは、他の多くの子供たちと同じような扱いをする。

残念なことは、日本にそれだけの土壌があるかといわれれば、「ノー」としか答えられないことである。
もちろん、偏見の目というものは厳しいと思う。
それに、日本人の多くは、ダウン症の子が大学に行くと言っても信じはしないであろう。
そう言う土壌の中でダウン症の子供を育てるには、親には相当の覚悟がいる。

日本の遅れた社会性を変えようと思っても、そう言うものは一夜にして変わるものではない。
ただ、昔と比べれば、ダウン症に理解を持っている日本人が増えていることが幸いである。
だからといって、社会の風土はかんたんには変わらない。
そこが、親の覚悟が必要なところである。

私の私感であるが、今の日本で、ダウン症の子が育っていくためには、
親という強力な理解者が、常にその子をサポートし、
そして、ダウン症に理解のある人を周りに集めていかなければ、現時点では、グッドとは言い難い。

社会が熟成していない以上、両親なり、身内が、その子の道を造ってあげる必要がある。
もちろん、一部、専門的な教育は必要であるからである。
それをしないということは、心臓の悪い人に、心臓の薬を出さないのに等しい。
必要なことはしてあげなきゃならない。
しかし、それ以上の特別視は無用と言うことである。

今回は、特にダウン症の子供について書いたが、遺伝子障害児というものはそれだけではない。
それら一つ一つを、現在医学は解き明かしていき、その子の生涯を全うできるようにしてくれる。
何度も書いて申し訳ないが、それをじゃまするのが社会の偏見であり、差別である。
だからどうしろと言われても、正直な話、私は困る。
社会というものは、大きな慣性力を持って、ある方向を向いているものである。
だから、その慣性力に逆らうって言うのは、一人や少数のグループでは無理であろう。
だから、親や身内の大きな助けが必要になるのである。
理解のある方向へ、向かわせることが一番である。
そして、それが成功すれば、少しずつであろうが、社会の慣性力に変化を付けるのに違いないと思っている。

日本という国の、「普遍性」という言葉が好きな人が多い社会、
いずれ潰していかなければ行けないが、焦りは禁物である。
小さな努力が将来へと続く、私はそう信じている。

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