悲しいほど貴方が好き
好きなのが私で、その対象が坂井泉水さんだと思うと、この歌は泣けてきます。
人の記憶というモノは曖昧なもので、正直言って坂井泉水さんが亡くなったのも、もう去年の事のようである。
それと、BGMでZARDの曲を流していると、ふとまだ坂井泉水さんが生きているように思える。
思い切って死後に発売されたオフィシャルブックの「きっと忘れない」を読むと、私の想像とはちょっと違った坂井泉水像ができあがる。
私の坂井泉水さんの生活の想像は、好きな時に曲を作って、アルバムが発売決定すれば音入れをしていく、そして普段は、好きな事をしている、そう言う優雅な生活をしていると思っていた。
実際は全く違った。
ZARDの坂井泉水さんは、後半の人生を音楽と共に生き、その生活が終わらないまま亡くなったのである。
前に作詞の難しさを書いたが、「きっと忘れない」を読んでいると、それを書いたのが恥ずかしくなる。
坂井泉水さんの作詞で世に出た曲というのは、泉水さんが書いていた詩の何分の一であり、未発表の膨大な量の詩が、まだまだノートなどに残されいて、そのたくさんの中から、そのときのオファーやコンセプトに応じたモノを作詞し、その作詞も、レコーディングが始まってからも、多い時では20回位書き直す事があったらしい。
ついでに書いて置くが、坂井泉水さんは、歌の表現と、音程を非常に大事にしていて、それが気に入らない度に録音し直し、その回数が数十回にも上った曲もあるそうだ。
あの名曲の「負けないで」も直筆の譜面が残っていて、かなりな箇所で言葉やフレーズを書き直しているようである。
まあ、今更こんなことを書くのも平凡すぎるかもしれないが、あんな単純な応援歌を、あれだけすばらしい曲にしたのは、もちろん、作曲家や編曲家、レコーディングスタッフなどの力も必要ではあったが、泉水さんの詩に対するこだわりが、後世に残る永遠の応援歌として立派な地位を築いたのである。
またまた蛇足だが、某テレビ局の特番で、「あげ歌」(応援歌?)の順位を発表していて、多分十位程度には入るであろうと見ていたのだが、結果は一位であって、これはさすがに驚いた。
ただ、残念な事は、ZARDの歌が売れまくっていた頃は、あくまでも私の想像であるが、「一番ご自身で、良い曲と思うのは?」と聞かれたら、きっと泉水さんは「次に出す曲です」と答えていたと思う。
もちろん、1990年代前半から中盤にかけての何を出しても売れる状態は、確かにすばらしい曲ばかりではあるが、泉水さん自身は、スタジオと家との往復だけで、多分肉体的にも、精神的にも、疲れていたのに違いない。
メッセージソングというのは諸刃の刃で、特に美しい女性がそう言う歌を歌い続けると、聞く方が正直言ってあきてくる。
でも、泉水さんのメッセージは、「今日はダメでも、きっと明日は良い日が来ますよ」的な普遍性のあるメッセージであり、それは人生に対してもそうであり、恋愛に対してもそうであったため、非常に聴く者を癒した曲が多い。
しかし、私が泉水さんから感じるメッセージの方向性の違いを感じたのは、あの名曲の「止まっていた時計が今動き出した」くらいからである。
特にアルバムタイトルにもなった「止まっていた時計が今動き出した」は、ある意味「仏教」などの教えを感じさせる、ある意味高度な、またある意味難解なフレーズが存在してきた。
いや、「仏教」などの教えを反映させたのではなく、坂井泉水さん自身の心の中での考え方が「明日も頑張ろう」的なメッセージよりも、もう一歩進んだ、泉水さん自身の悟った事を詩に反映させてきたのではないかと思われる。
残念な事に、やはり彼女の患いとほぼ時期が同じになる。
泉水さんの全部の曲がそう変化したというのではなく、一部のメッセージ色の強い曲が、単純な「頑張れ」から、もう一歩先に行ってしまったのだ。
この「止まっていた時計が今動き出した」というアルバムは、私にとって宝物である。
確かに泉水さんには「FOREVER YOU」という名アルバムがあるが、それはそれで良いものであるが、この「止まっていた時計が今動き出した」というアルバムは、いろんな角度から泉水さんの精神構造に引き込まれる、あたかも泉水さんが上位自我になったかのような気になる、そんなすばらしいアルバムなのだ。
多分、泉水さんを知らない若い世代の人に、「ZARDってどのアルバムを聴けばよいですか?」って聴かれると、相手によっては「forever you」と答え、また相手によっては「止まっていた時計が今動き出した」と答えるであろう。
はっきり言って、この二枚のアルバムの位置は全く違う。
しかしZARDというコンセプトからは離れていない。
これは、坂井泉水さんの書く詩が、常に普遍性のあるモノを題材にしたのが多く、メッセージ色も強く出さないという手法を貫いたせいで、軽く聴く人にはどちらも同じZARDなのであろう。
また蛇足だが、大阪のフェスティバルホールで行われた追悼コンサートで、「止まっていた時計が今動き出した」の作曲家であり、アルバムのバッキングボーカルも勤めたGARNET CROWの中村由利さん(漢字間違っていたらごめんなさい)が、やはりスペシャルゲストとして、この曲のバックボーカルを務めたが、私はフェスティバルホールの一階席の後ろの方であったが、中村さんの生声が聞こえてきた。
あらためて凄い人だナット思った。
とにかく、大きく分けて、ZARDには前半の時期と、後半という二つの時期に分ける事が出来ると思う。
いつからいつまでとははっきりと言えないが、前半は、人生や、恋愛について、常にエネルギーをもらい、また時には歌に涙した、そんな時期であった。
後半は上記したように、まるで泉水さんが上位自我になったような気にさせてくれる、そして感動を覚え、やはり涙も流した時期である。
「哀願」という言葉は、私にとっては多分一生忘れられない言葉であるが、泉水さんが病に冒された時期でも、曲を聴いていると、こちらがエネルギーをもらうのには変わりがなかった。
ただ、泉水さんの心の奥底で、泉水さん自身にエールを送り始めたのを私は気がつかなかった。
結局、遺作は日本語の歌詞が全部音入れできなかったが、英語の方はすでにレコーディングがすんでいたので、日本語の部分と英語の部分とをつなげて作った「グロリアス マインド」になり、相変わらずだが「名探偵コナン」というアニメのテーマ曲にも決まったし、もちろんCDも発売されるようである。
追悼コンサートでも披露された。
Gloriousと言う言葉をこの場合、どう訳せばよいのか、正直言って困る。
ただ、本にも書いてあった事にも賛成なのだが、この曲は、きっと最初で最後の、坂井泉水自身のために書いた曲であろうかと思う。
ZARDはこれからも活動を続けるようであるが、正直言ってちょっと諸手を挙げて万歳を言う気にはなれない。
やはり坂井泉水さんの死というのは、衝撃的すぎて、そして音楽葬などの一連の行事が終わって時間が流れると、ますます悲しみを覚える。
この出来事に、泣くなと言うのは無理な事であった。
そして日増しに押し寄せてくる悲しみ、これにどう対処すればよいのか、今の私には分からない。
きっと、今を一所懸命生きるというのが結局は一番良いのであろう。
合掌
坂井泉水さんは皆さんもご存じのように、歌手であり、作詞家である。
詳細な分析はしていないが、詩の方はどうも実体験が多いように思う。
とても、頭の中で仮想空間で経験してきたことを書いているように思えないのである。
かといって、プロの作詞家であるので、100%体験談を書いているのではなく、もちろん想像をふくらまして、一つの詩ができていると思う。
坂井泉水さんの詩は何がうまいかというと、もちろん大筋もお上手であるが、登場する小道具も非常に場面に合っているのである。(例 バスケット・・・etc,)
急に私の話になるが、私自身、今から25年以上前は、主に作曲担当であったが、作詞もしていた。
そこで困っていたのは、私の作詞は、まるで台本のようで、いわゆる粋な演出が無かったのである。
これは歌詞を作詞してみれば分かる。
良い筋書ができて作詞をしていっても、もちろん普通の詩ではなく、歌詞である限り、文字数などが気になる。
そこでよく使うのが小道具であるが、当時の私にはそう言うモノを使う余裕はなかった。
そう言う苦労をしているから、坂井泉水さんの小道具の使い方はよく感心させられる。
もちろん、他のプロの作詞家も色々小道具を使うが、半数ぐらいの曲が次に「・・・が出てくるだろう」と予想がつく場合が多い。
しかし、坂井泉水さんの詩は、予想もつかない言葉で、しかもその詩の大筋から離れないというか、むしろ華やかにする効果がある。
これってすごいこと何である。
最近の歌番組を見ていても、次にどういう歌詞が来るのか予想できる歌手が多すぎる。
もちろん、歌手本人の作詞に限って言えばである。
その点、坂井泉水さんの詩は、まとまりもあるし、予想もつかないし、素敵な単語を選び出してきている。
もっとも、坂井泉水さんのような天才作詞家には、それが当たり前であって、世の中に名曲として残っているのであるが。
次に、どこかに書いてあると思うのだが、多分坂井泉水さんは、多くの場合、詩を先に書いて、曲を後で付けるタイプであろう。
これって、作曲家は非常に楽なんである。
少しでも音心のある人が、目の前に素敵な詩を差し出されたら、少なくとも、出だしの部分、またはサビの部分がその詩を読んでいるだけで出てきて、後は曲としてまとめるだけでよいのである。
私が大学生の頃、友人と二人で、二人ともフォークギターを持って、二人とも歌うポピュラーバンドを組んでいた。
原則、自前の曲であった。
そこで、私たちの周りには有能な作詞家が三人ほどいた。
音楽性とかの比較をしないとすると、その中の一人の女性の歌詞は、ほとんど私が添削すること無しに、しかも詩を読み終わった時点でほとんど曲ができていた。
(まあ、素人の曲ですから、たいしたことはありませんが)(^_^;)
多分坂井泉水さんも、多くの場合、作詞が先と思うので、そこに一流の織田さんのような作曲家が曲を書くとなると、良い曲ができて当たり前なのだ。
もちろん、私たちと、坂井泉水さんや、織田さんと比べる方が間違いだが、一流の作詞家の書いた詩を一流の作曲家の手に渡ると、一流の曲ができて当たり前なのである。
しかも、坂井泉水さんの恋愛観にはある程度普遍性があったと思うので、恋の歌などは、作曲家たちは曲を付けやすかったと思うし、人生の応援歌のようなモノも、坂井泉水さんは、一つのコンセプトを持っていたようなので、作曲家の方も迷わず曲が書けるんだと思う。
ZARDの曲は、素晴らしい坂井泉水さんの言葉で書かれた詩と、彼女を理解していた超一流の作曲家が曲を書くので、私の心に深く残っているんだと思う。
もちろん曲か詩のどちら?と聞かれると迷わず、「詩」と答えるであろう。
彼女の詩は、良い意味でいつも期待を裏切る。
今聞いているフレーズを思うと、次には「・・・・」というようなフレーズかな?なんて思って聞いていると、「******」というフレーズで、全く予想つかないのである。
もちろん、世の中には、次の歌詞が予想できるような曲が好きな人もいるようで、それはそれで別にかまわないが、坂井泉水ワールドに、もしその人たちが触れるとどうなるんだろうな?
ひょっとしてパニックになるのかな?とか考えてしまう。
とにかく、坂井泉水さんの死は、一人の歌手が死んだだけでなく、一人の有能な作詞家も亡くなったのである。
これはJ-POPの世界にとっては大きな打撃である。
次の坂井泉水さんの詩が、もう二度と出てこないと考えると、とても悲しい。
いつになったらこの悲しみから逃れられるのであろうか?
この話題は書きたくなかったのだがこのブログ自体の名前にZARDをお借りしている以上、これ以上無視はできないと思い、書くことにした。
坂井泉水さんが死亡したというニュースは、この月曜日のテレビなどで大がかりに流れる直前の友人からの電話であった。
正直言って信じられないという思いとともに、絶句した。
本当に言葉が出なくなったのだ。
その直後、その日は偶然午前中の仕事がすぐに終わり、後はインターネットや2チャンネルで情報を収集した。
「嘘だろ」と思う心は徐々に消されていき、死亡が確実になった時、涙がこぼれそうになった。
実際は泣いていたのか分からないが、他人が見ていないので何とも言えない。
その日の午後のお仕事はもちろん、虚ろな状態でおこなってしまった。
とにかくそのショックの具合は表現できないほどである。
この程度の心の持ち主である私がもし肉親の死に直面したら、きっとボロボロになるであろうと思う。
個人的なことはさておき、未だにこれを書いている時点で「後追い自殺」が一件も報道されていないのは非常によいことだと思う。
確かにファン層の年齢も関係あると思うのだが、私でさえも、この先坂井泉水さんに会うことはないのだと思った時にふと頭をよぎったのは、「死ねば会える」という間違った考えであった。
そりゃ、天国というモノは実際にあるのかもしれないが、そこへ現世の記憶を持ったままその名の通り、天国のような暮らしができるのなら、とっくに人類は滅亡しているであろう。
そのくらいの理性は日頃から持ち合わせている私は「後追い自殺」などしなかった。
しかし、「後追い自殺」を勘違いでおこなう人の気持ちは、少しは理解できた。
たとえそれが間違った行動であってもだ。
私のZARDとの出会いは、みんなが思っているほど古く無く、ちょうど「この愛に泳ぎ疲れても」が流行っている時であった。
もちろん「負けないで」という曲がその前にあって、春の選抜高校野球大会の入場行進曲になったのは知っていたが、普通、その歌を歌っている人は入場式の時の民法の放送のゲストに呼ばれて参加する場合が多い。
しかし坂井泉水さんが入場式に来なかったのを偶然テレビで見て知っていた。
1990年代の初頭は、私にとって音楽が無かった時代である。
中学の学園祭からギターを持ってステージに上がっていた私は、大学時代は、今で言うインディーズがあったら、少なくともそこに出ていたと思うくらい、音楽好きであった。
私の大学のバンドは、私と相方の二人組で、どちらも主にフォークギターを持っての自作の歌を歌うという、ごくシンプルなものであった。
大学院に入学してからも出ていたので、6~7年連続、大学祭に出ていたような記憶がある。
もちろん、音楽も聴くのも大好きであった。
中学の頃は英語の歌が多かったが、高校に入って、フォークソング部に入部してからは、「赤い鳥」と言う「翼を下さい」と言うサッカーの応援歌によく歌われた歌を歌っていた元々のバンドである。
その頃はさすがに邦楽を聞く機会も増え、洋楽ではレッドツェッペリンとかディープパープルとかが現役ばりばりの頃で、いわゆるビートルズの2代目世代をよく聞いていた。
恥ずかしながら、リ-ドギターを担当し「曲馬団」と言うロックバンドも組んで、上記したようなバンドのコピーをしていた。
そのときのキーボード担当が、今をときめくK君で、現役でもバンドを組み、有名アーチストの舞台のプロデュースもしている人である。
名前を明かしてしまえば年齢もばれるのでK君としておく。
前後したが、そして大学院を無事卒業し、就職して、私生活では子供もできていて、今までのように、ステレオの前で音楽を聴くことが無くなった。
そして、私の音楽不毛時代に突入するのである。
ZARDのデビューはちょうどそれが終わる少し前であったので、デビューからのファンではない。
少し生活も落ち着き、そのときはスポーツクラブに行っていたのだが、有線放送から流れ出てきたのが「この愛に泳ぎ疲れても」だった。
久しぶりに身震いがした。
すぐにインストラクター(私よりはるかに若く見えたので)に、「今有線で流れている曲はなんという曲で誰が歌っていますか?」と尋ねた。
インストラクターの女性はすぐさま「歌っているのはザードで曲名はよく分かりませんが、歌詞の通りじゃないですか」と言う答えであった。
つまり、歌っているのがザードで、曲名は多分、この愛に泳ぎ疲れても、と言う歌詞の全部か一部分であろうと言うことであった。
スポーツクラブから最寄り駅までの間にCDショップがあり、探すのも面倒であるから、すぐにカウンターの店員に、「ザードていう人が歌っているこの愛に泳ぎ疲れてもとか言うような題名のCDありますか?」と聞いたら、いわゆるオリコンの上位曲だったし、もちろんZARDも「この愛に泳ぎ疲れても」と言う題名もすべて一致していたから、すぐに出してくれたので、即購入した。
結局、それが起爆剤となり、私の音楽人生が再開し、ZARDと坂井泉水さん中心の音楽生活が始まった。
その頃同時にインターネットも流行りだしていて、色々と情報も手に入れやすくなってきていたので、坂井泉水さんがまだモデル時代の「蒲池幸子」の本名で出したという「ノクターン」と言う写真集も10万円で手に入れた。
結果的に、ホームページを開設し、当時ZARDの人気が最高潮の頃で、例の「ノクターン」もまるでエッチ写真集のように扱われ、会員制でお金を取って写真を見せるというホームページが多かったのに憤慨し、私のページには、その写真集や、それ以外の雑誌などに載っていた「蒲池幸子」さんの水着写真なども含めた、「蒲池幸子」~「坂井泉水」まで網羅した、もちろん閲覧無料のZARDのホームページを開設した。
まあ、今でもパソコンのソフトに弱い私であるので、開設してからしばらくは、アクセスカウンターなるモノを作ることができず、ちょうど中間ぐらいから設置できるようになり、そこからカウントしても40万ヒット近くまで言ったのを覚えている。
「ノクターン」と言う写真集は、今のモデルでもよく出す程度のモノで、乳首は出していないし、もちろんヘアーヌードでもない、まあロングヘアーブラとか、手ブラとかはあった、ちょっと挑発的な写真もあったが、モデルとして誰に恥じることもないすばらしい写真集であった。
それと、イメージビデオも二本ほど出ていて、まあエッチビデオと思って購入したら、全くの期待はずれのモノで、まさしくイメージビデオであった。
まあ、これがAVに出ていたの噂の元とは思うが。
このビデオの良いところは、ZARDの坂井泉水になってから、ほとんど正面写真が無くなったので、正面向いてしゃべる坂井泉水(蒲池幸子)さんが見ることができると言うことであろう。
ヌードビデオというのも見てみたが、不鮮明だし、歯の治療後が全く違うので、全く他人であった。
だから、坂井泉水さんは、ヌード写真集も出していないし、AVビデオにも出ていないというのが真実である。
楽曲の話から外れてしまったが、坂井泉水さんは作詞担当で、売れていた頃の多くの作品の作曲担当は織田哲朗さんである。
しかし、織田さんが「相川七瀬」をプロデュースするため、ZARDから離れたとほぼ同時期に、なぜかZARDの楽曲の売れ行きが落ちた。
ここのところは微妙な話であるが、CD全体の売り上げが落ちたのか、ちょうど「小室ファミリー」などが出てきて、ZARDが所属する会社のビーイング自体のブームが去ったのか、よく分からない。
確かに、曲自体も、統一性が無くなり、とてもミリオンヒットが誕生する雰囲気ではなくなった。
しかし、シングルを出せばオリコン1位か2位くらいはもちろん取っていた。
音楽業界全体が、「小室ファミリー」そしてその後は、浜崎あゆみに代表される「エイベックス」時代がやってくるのだ。
ZARDにはコアなファンがついており、シングルを出せば、先ほど書いたようなくらいは売れるのだが、浮動票は流行の方に移っていったのである。
しかしZARDの知名度や、楽曲の良さが失われたり、評価が悪くなったわけではなく、ベストアルバムはミリオンの連発だったと思う。
もうとっくに「負けないで」のZARDから脱皮をしていた。
そして待ちに待ったZARDの全国ツアーが行われ、ついにZARDは秘密のベールを脱いだ。
もちろん以前から分かっていたことだが、ZARDという音楽グループは存在せず(デビュー当時をのぞく)、ZARDとは、ボーカルで作詞家の坂井泉水さんを中心としたあくまでも音楽集団であり、固定メンバーは坂井泉水さんだけで、後のメンバーは、その都度その都度、ZARDに参加していた。
もちろん、歌詞という詩でその音楽性を高めていたZARDにとって、坂井泉水さんの詩と声さえあれば、それはZARDであった。
全国ツアーに関しては、どこかに書いてあると思うので詳細は省略するが、大阪のフェスティバルホールで二回行われた分は、私は二回とも行った。
実物の坂井泉水さんが目の前で歌っているのに興奮した。
もちろん、その後、そのライブもDVDになったが、そのとき残念だったのが、いわゆるハイビジョンでなかったことである。
まあ、次があるからと思っていた。
最近しばらくニュースも聞かないし、ファンクラブの会報にも坂井泉水さん自身が「しばらくの間体調を崩しており・・・」とか書いていたので、ちょっと心配はしていた。
そして突然の訃報である。
それも、癌で闘病生活を送っていて、再発後であるが、比較的予後が良かったところで今回の転落死である。
もちろん、自殺説もあるが、私はあの大きな病院でたかが三階から飛び降りての自殺はないと思うので、転落事故説を支持する。
しかし、それはたいした問題ではない。
坂井泉水さんが、闘病していたという事実の方が大事である。
文字通り、病と闘っていたのである。
この1~2年間の間、病と闘っていたのは事実であり、私はそれさえも知らなかったのが嫌である。
別に私がエールを送っても坂井泉水さんには届かなかったであろうが、少なくとも気持ちだけでも戦いたかった。
共に戦いたかった。
でも、一人で戦い、一人でこの世を去ってしまった。
詩人らしいと言えば詩人らしかったかもしれない。
多くの心に残る作品を私たちに残してくれた坂井泉水さんに大きな拍手を送りたい気持ちである。
そして、これからもこんな気分の時はZARDのこの曲を、あんな気分の時はZARDのあの曲を、とZARDの曲を聴き続けるであろう。
本当に坂井泉水さんには心から大きな拍手で見送ろう。
しかし、坂井泉水さんが、もうこの世には存在しないと言うことも事実である。
合掌
もうこの二つの製品の戦いの決着は付いているのかもしれない。
世界規模で見ればiPodの圧勝であろう。
ただ、ちょっと仕事の関係で、二代目iPod nano とnewWALKMAN Sシリーズを手に入れたのでその感想を書く。
音に関しての結論を書くと、WALKMANの圧勝である。
これはいくら2チャンで騒いでいる輩が騒いでも、紛れもない事実なのである。
iPodはいわばmp3プレーヤーの延長の音であり、せっかくCD世代になって音が良くなったと喜んでいたのに、MDが登場し、まあ、カセットテープのWALKMANで、携帯音楽を聴くようなもので、そんなに悲観することはないと思っていた。
ところがiPodは自分で持っているCDから音を圧縮して本体に入れることが出来る。
CDを持っていなくとも、便利なソフトが付いていて、ネットで圧縮された音源を買うことが出来るのである。
この圧縮はmp3とは異なる方法で、AACとか言う名前が付いた圧縮である。
丸一日音楽を聴いていようと思えば、2GBくらいの容量があれば十分なすばらしい圧縮法である。
しかし何故かiPodから出てくる音はカセットテープのような音である。
色々とソフト的に試してみたりしても、AACの圧縮自体は悪い方法ではないので、iPod nano自体の音が悪いのである。
携帯音楽と割り切ればそれはそれでよいのだが、このiPod全体のシステムを考えると、CDレベルの音を聞くことなく、いろんな曲が手にはいるのである。
つまり下手をすればiPodの音がデフォになってしまうおそれがあり、これは音楽文化にとって大きな後退であろう。
それに対してnewWALKMAN Sシリーズは、圧縮率は同じだが、MDなどに使われていた圧縮法だと思うのだが、とにかく音がよい。
真剣に聞いていなければ、携帯音楽と忘れるくらいである。
これは歴史に裏付けられたSonyの技術であろう。
今からソフトのことを書くが、とにかく音にこだわるなら絶対にnewWALKMAN Sシリーズがよい。
iPodの音など、AMラジオ程度と思ってくれていいだろう。
だが音質のことばかり書いていたら、何故iPodの一人勝ちなのかを説明できないので、それに関して書く。
一言で言えば、これら二台は基本的にはパソコンから音楽を転送し、パソコンのCDドライブやネットショップで音楽を買うことも出来る。
これが出来るソフトの扱い方がiPodなど、説明書を一度見なくとも出来るくらい簡単なのである。
多分、ほとんどの中学生なら出来るだろう。
この事実は非常に重要なことである。
さらにネットショップの曲数も多い。
欲しい音楽はほとんどそこで買える。
しかし、Sonyは昔に比べれば良くなったと言われているようだが、ソフトの取り扱いは、iPodのそれと比べると、非常に難しい。
一応説明書を読めば分かることが多いのだが、やはり少しはパソコンの知識がいるであろう。
これでは売れない。
しかもそのソフトから接続できるネットショップはしょぼい。
ろくに音楽はないし、アルバム買いも少ないし、単曲も、あれ?と思うような曲が二百円であったりする。
とにかくnewWALKMAN Sシリーズは、自分の持っているCDを携帯するならまだましとは言えるが、新しい音楽を買いたいなんて思ってはいけない。
いくら良いハードを作っても、それを使う人にとって、ソフトは優しくなければ、使ってもらえない。
当たり前のことが典型的に出た例であろう。
老婆心ながらnewWALKMAN Sシリーズのノイズキャンセラーは凄い。
周りの音をヘッドフォンの所に組み込んだるマイクでひらって、その音と逆の波長の音を出し、結果的に周りの音がほとんど聞こえなくなって、WALKMANの音を大きくしなくとも良いという機能である。
これはいくら文章で書いても分からないだろう。
とにかく感動物である。
newWALKMAN Sシリーズは実は凄い怪物なのである。
(注:ノイズキャンセラーの付いていない物もある)
何度も書くが、これでソフトが良ければもっと売れただろう。
いや、実はソフトだけの問題ではなく、操作もなかなか悩むことがある。
それだけの問題があっても、私はnewWALKMANを使う。
その2と言うよりも、ZARDの What a beautiful momentのDVDに対する批評を、他のところで読んでいて、少し腹立たしかったので、ライブ版のCDなりDVDを作る方法と、バックバンドの批評を改めて書く、と言うことにした。
よく読む批判は、ZARD: What a beautiful momentのDVDの中で、泉水さんの歌詞忘れが多いと言うものだ。
確かに数カ所忘れている。
私が実際に言ったライブでもとちっている。
しかし、実際に行ったものにとって、そんなものはささやかなものだ。
それよりも、DVDになって聴き直すと、そんなに気にならないというかほほえましい。
更に付け加えるなら、その歌詞忘れがそのまま記録されていると言うことで、このDVDの信頼性が増している。
これの意味が分からない方は多いと思うので、ちゃんと書く。
通常よくやる手法として、全国ツアーなどを行った場合は、もちろんいいとこ取りをするのである。
つまり、間違いのないところばかりを集める手法だ。
但し、これはお金がかかるので、あまり多くのアーチストは行わない。
ごく一部だ。
その方法よりも多いのが、後で録音をかぶせる方法である。
この方法をとっているアーチストは多い。
非常に安価で、容易なため、多くのライブ版で聴ける。
まあ、聴けると言っても、こんな言い方は悪いが、普通の人には分からないレベルで修正している。
それはそれで、聴く方も、完璧を求めるのならよい。
誤解の無いように言っておくが、自慢になるが、私はその当たりを聞き分ける耳は持っているし、分かるのである。
なぜなら、私は、若かりし頃、セミプロのミュージシャンであったからである。
作詞、作曲、編曲、リードギターとこなしてきた。
実際の活動は止めても、音楽を聴くのは止めていない。
だから、悲しいかな、分かるのだ。
更に、音楽業界に一度でも足を踏み入れたことのある人なら、これって当たり前のことなんだ。
特に、たとえば「武道館ライブ」とか表題を付けてしまうと、その音源しか使えない。
そのライブが一度しかなかったら、取り返しがつかないのである。
だから、後で、録音をスタジオでして追加する。
ひどい場合は、いつの間にかコーラスまで入る。w
まあ、それを良しとするかどう思うかである。
私は、ZARDのライブは、大阪のフェスティバルホールの2公演に行った。
その時の感触から言うと、このDVDは、それなりの雰囲気で丁度よいと思う。
まあ、そう言う批判は、ほとんどライブに行っていないか、あるバンドのライブに行って、幕の後ろで演奏するミュージシャンに気がついていないで、そのバンドの技量を絶賛しているのだろう。
ステージをこなせばよく分かるが、なぜか歌詞忘れは起こる。
たとえ自分で書いた歌詞であってもである。
それも、作詞をやっているときにすらすらと出てきていたフレーズを忘れたりすることが、実は多い。
まあ実体験だが。w
歌詞忘れがあまりにも多いミュージシャンは、モニタースピーカーに見せて、歌詞を出している人もいる。
平面の会場の場合、ステージの最前列に、歌詞を書いた紙をいっぱいに貼って、それを見ながら歌っている人もいる。
まあ、結局は、ライブ版に何を求めるかの違いかもしれないが、そう言う裏側を知らずに、「ZARDのライブは歌詞忘れが多い」と書いている人を見ると、笑ってしまう。
特に、ビーイングとZARDの組み合わせでは、絶対に後録はない。
次にバックバンドだが、これに文句を付けるのなら、何が最高か言ってみろという感じである。
ZARDのライブのバックバンドは、あまり編曲をしないで、CDに近い音を出そうとしている。
これは、ライブの少なかったZARDファンにとってはありがたい話だろう。
年に一度の全国ライブをやっている歌手なりバンドなら、完全ライブバージョンもありであろう。
しかしZARDの場合、いわばライブ初見参である。
その場合、聞き手のことを考えて、CDのZARDが、ライブで歌っているというのが重要なのである。
少なくとも、今回のバックバンドは、ほぼ完璧にこなした。
もちろん、ここにも、後での録音はなかった。
まあ、ほぼ必要が無いくらいよかったであろう。
バックバンドに対する悪口は、全く根拠がない。
とにかくこの What a beautiful moment と言うDVDは聴けば分かるが、音楽DVDとしても素晴らしい。
ただ私もそうだが、普段、仕事しながらBGMを流せる環境にあるが、DVDの中で、映像が切り替わるときに入れている効果音は、実際に映像を見なきゃ、なんの音かは分からないと思う。
まあ、ライブCDではないのだから、それはそれで、こちらが難癖を付けているようなものだ。
結局、スタジオ録音にライブの歓声を加えたような、アイドル系のライブ版になれている人たちにとっては、そう言うような誤解が生まれるのかもしれない。
ZARD: What a beautiful moment・・・これは素晴らしいDVDである。
是非、多くの方に買って欲しい。
泉水さんの美しさを再確認するためにも。(・・)(。。)(・・)(。。)ウンウン
ついにZARDの話題だ。
もちろん、昨年行われたライブツアーの様子を収録したDVDに関してだが、
内容に関しては、言うまでもなく、最高である。
今まで、ZARDのファンというものは、ほとんどの人々が、実際に坂井泉水さんが歌っているのを見たことがない。
もちろん、デビュー当時に数回歌番組にも出ていたし、シークレットライブも行ったことがある。
また、大阪のパン工場地下のライブハウスに飛び入りで歌ったこともある。
しかし、あれだけミリオンヒットを飛ばしているミュージシャンなのに、露出が極端に少ない。
つまり、生で坂井泉水さんが歌っているのを見た人は、ファンの中では少数であった。
2004年に、ついにライブツアーが決行され、多くのファンが、坂井泉水さんの生の姿を見ることができた。
もちろん、その多くの人々は、初めて見る、生の泉水さんであっただろう。
かくいう私も、大阪のフェスティバルホールの2公演に二回とも行ったが、その一回目が、初めて生でお見かけするお姿だった。
一回目の公演なんて、ど真ん中のボックス席だったのだが、感動だけ覚えて帰っていて、ほとんど内容を覚えていないという有様だ。
もちろん、歌声や姿は、しっかりと刻み込まれていたが、ほとんどの曲は、題名が出てこないほどであった。
正確に言えば、三曲だけしっかりと覚えていた。
オープニングの「揺れる想い」、この曲で、泉水さんが登場したときは、正直言って、感動にふるえた。
アンコールの手前の、最後の曲は、「負けないで」だったので、これは覚えている。
恥ずかしながら、おもいっきり手を打ち鳴らしながら、ノリノリにのっていた。
「負けないで」という曲は、もちろん、ZARDの名前を全国区にし、しかも、今も良く歌い継がれている名曲である。
ところが、多くのファンの間では、あまりにもスタンダードすぎて、一番好きな曲どころか、好きな曲を三曲あげろと言われても、出てこない場合が多い。
まあファン心理とはそんなものである。
私も一番好きではないが、三曲あげろと言われれば、必ず入れるであろう。
あまりにもヒット曲としての要因を持ちすぎているくらいに、名曲中の名曲であると思っているからである。
だから、私の携帯の着メロは通常は「負けないで」である。
悲しいことなのか嬉しいことなのか分からないが、この曲で、他人と同じで困ったことはない。
さて、コンサートの話に戻るが、一回目の公演で覚えている最後の曲は、「止まっていた時計が今動き出した」である。
この曲自体大好きだし、音楽性にも優れていると思うし、歌詞も非常にうまく書いてあって、なぜか納得してしまう。
元々このライブは、公演前に曲の発表はなく、密かに演じて欲しい曲の一つだったのである。
それが、アンコールの2曲目に出たのである。
イントロのギターが鳴り響いたとき、それこそ、体中の毛が立つような感動であった。
マジで涙が出そうであった。
これこそ、ZARDがロックであるという証明でもあった。
とにかく、フェスティバルホールでの一回目の公演は、感動はしてきたが、冷静さに欠けていたため、正確にはこの三曲しか覚えていなかった。
そして2回目のフェスティバルホールでの公演は、さすがに冷静に聴けた。
音楽に浸り、どっぷりと酔いつぶれることができた。
座席にも恵まれ、前から数列めだったので、肉眼でも泉水さんをしっかり見れたし、2公演とも双眼鏡を持参していったが、この2回目も双眼鏡を使って、しっかりと泉水さんのアップの顔を焼き付けてきた。
この回は、残念なことに、「止まっていた時計が今動き出した」の最初のエレキギターのイントロで、奏者が少しミスったのが残念であった。
しかし、じっくりと細かいところまで聴き込め、感動してきた。
そして待つこと一年、ついにDVDとなって登場した。
もちろん、各会場の良いとこ取りであろうが、歌詞忘れも数カ所入っていて、その時に泉水さんの顔がかわいい。w
まあ、そんなところばっかり見ているのではないが、一年ぶりに感動がよみがえった。
しかも、寝ころびながらでも聴けるし見れるのである。
おまけのDVDは、所詮おまけだが、貴重な映像も入っていた。
本編は、ライブ会場で冷静に見れなかった、バックバンドの人たちを、一人一人確認できて、よかった。
音楽的なことも確認できて、まさにお気に入りである。
多分、全国津々浦々までのZARDファンの人々の数から見ると、コンサートへ行った人はたかがしれていると思うので、この「ZARD: What a beautiful moment」DVDは、ZARDに少しでも興味がある人には絶対に買いである。
家宝にしてもよいくらいである。
ただ、ちょっとパソコンのハード的な話になるが、こういうライブのDVDと言うのは、映画のDVDと違って、再生には、パソコンのハイスペックを要求する。
しかもいくらCPUが、ハイスペックでも、DVDドライブがしょぼければ、うまく再生できない。
いずれパソコンの内蔵型記録式DVDドライブについては書くつもりであるが、NECのND-3540Aと言うドライブは、再生には絶対にオススメである。
同じCPUを使っていても、このドライブならうまく再生できるってことがあると思う。
しかしだ、実は1万円台で売っている、テレビに繋ぐ、再生専用のDVDプレーヤーの力は、最近のものは凄いモノがある。
私は職場にもそう言うのがある関係上、都合三台で試してみたが、どれもストレス無く最初から最後まで再生できた。
民生機、恐るべしである。
パソコンの場合、先ほど書いたオススメのドライブを使っても、場合によっては、カクカクする場面があるが、それを改善しようとすると、あっさりと数万円の投資になってしまうであろう。
もちろん、数万円というのは、自作前提の話であり、通常のユーザーなら、パソコンの買い換えさえも検討に入れなければならない。
それに比べて、量販店で1万円ちょっとで売っている再生専用のDVDプレーヤーを購入する方が、出費は押さえれる。
どうしてもパソコンで見たければ、その再生専用DVDプレーヤーの出力を、パソコンのビデオ入力があればそこに繋げばよいし、無くとも、今は外付けでも、テレビをUSB経由で見れるやつを買えば、たいていビデオ入力もついているので、それに繋ぐだけで、心地よく見れる。
とにかく、色々なディスクが再生できる再生専用のDVDプレーヤーは、結構役に立つ。
最近出たやつは、特に、いろんなディスク規格に対応しているので、一考の余地はあると思う。
更に、お金に余裕があれば、このDVDは5.1CHなので、そこに投資すれば、気分はライブ会場である。
しかも最前列以上の特等席である。
とにかくこの「ZARD: What a beautiful moment」DVDは、非常な貴重品であるが、万が一、あまり聴くスペックのマシンをお持ちでない場合は、パソコンのグレードアップに投資するのではなく、単に売られている、テレビに繋ぐ用の、再生専用DVDプレーヤーに投資する方が、結局は安くつくと思うし、ZARDワールドにも浸れる。
なにか、最初はDVDの感想を書こうと思ったのだが、ハードの話かなにか分からなくなってしまったが、とにかく、久しぶりに興奮するDVDを手に入れることができて幸せである。
「ZARDは実は美人じゃない」と言っていたのはどこのどなただ。
そう言う人は、とくとこのDVDをごらんあれ。
天は二物以上を与えることもあるのだ。
今となってはもう古い話になるのかもしれないが、私は、この表題になっている曲を聴いてぶっ飛んだ。
そして、ライブでも、これはアンコール曲であったが、ギターのイントロが入った瞬間、ぶっ飛んだ。
まさにロックしていた。
ZARDがロックだと言われるゆえんである。
ライブの話に戻るが、もちろん、多くの人は、生で坂井泉水さんを見るのは初めてであろう。
私もその一人である。(もちろん、ライブは二回行ったが)(^_^;)
そして、そのお姿を見た瞬間、誰もが雷に打たれたような感動を覚えたはずである。
とにかく、美しい。
いや、美しいという言葉だけではすませられない。
ボキャブラリーの少なさで表現できなくて申し訳ないのだが、
「可憐」で「美しく」「手折れそう」で「力強く」ビシバシの「オーラ」を放っていた。
その彼女が、突然ロックするのだ。
感動しないやつがいていないはずだ。
もう、この曲はビシバシにのりまくった。
しかし、ZARDのコアなファンである私は、それだけでは終わらない。
家に帰ってから、もう一度「止まっていた時計が今動き出した」を聞き直す。
やはり感動して涙が出そうになった。
そう、この曲は、ZARDの新しい道への出発の意味を込めた歌なのである。
もちろん、音楽的にもそう言う時期にきていることもあるだろうし、
私生活でも、歌に向かう気持ちが変わった、そう言うメッセージである。
だから、この曲は、純粋にZARDの音楽が好きという点では、満足度100%である。
しかし、ファンの心理というものは微妙なものである。
坂井泉水さんには幸せになってほしいという気持ちが根底には流れている。
そうなると、これから音楽に挑戦していくという、このメッセージソング、うれしい反面、勘ぐってしまう。
私の勝手な想像だが、もう入籍しているのか、入籍間近かと思っていた。
だが、このメッセージソングを聴くと、そう言うことは無くなったとも取れるのだ。
もちろん「pray」という、純粋なラブソングも、このアルバムに入っている。
しかし、彼女もプロである以上、どんな状態の時でも、ラブソングくらいは書けるであろう。
人生経験も豊富なわけだし。
だから、ラブソングがアルバムに入っているから、今幸せなんだとは思えないのだ。
今、幸せという言葉を使ったが、坂井泉水さんにとっての幸せは、やはり歌うことにあるのかとも思う。
そう考えると、この曲の解釈がすんなり行くのだ。
本当に、それでよいのか?
連れ合いができても、良い曲を常に作り続けている人ももちろんいている。
だから、別に今更、坂井泉水さんに連れ合いができても、ZARDの王道が消えるとは考えられない。
しかし、このメッセージソングは、どう解釈すればよいのか、結局迷ってしまう。
まあ、多くのファンが一番納得する道はただ一つであろう。
それは、連れ合いを造って、なおかつ、音楽活動を続けると言うことである。
ファンとは贅沢なものだ。(苦笑)
ちまたではmp3のプレーヤーが大流行のようである。
かくいう私も、実はどんなものかと思って、年末に一台購入した。
はっきりと言って、音は悪い。
MDLPの方が、遙かに音は美しい。
じゃあ、mp3なんてものが流行るのは、この世の終わりかというと、そうでもないと思う。
昔は「ウォークマン」といえば、必ず、カセットテープのプレーヤーのことを指した。
今は、「ウォークマンください」と電気店に入っていけば、MDかCDか、くだんのmp3メモリープレーヤーのことらしい。
よくよく考えてみると、カセットテープの優位性がそんなにあったのかというと、答えはノーであろう。
つまり、昔のカセットテープの位置に、mp3プレーヤーが入っていこうとしているのである。
じゃあ、カセットテープの代わりに、標準になったMDはどうなるのかというと、これはどうも高音質をねらっているようである。
Hi-MDとか言う規格があるようで、音がかなりよいらしい。
じゃあ、mp3プレーヤーなんかいらないんじゃないかと思うのかもしれないが、そうでもない。
mp3は、音を犠牲にしている代わりに、曲数が、同じメモリーにたくさんはいる。
もちろんHi-MDとか言う規格のディスクにmp3で録音すれば、かなりの曲数は入るであろう。
電気店で見る限り、そういう使い方もできますというような宣伝だ。
じゃあ、棲み分けはどうなるのか?という疑問が出てくると思う。
Hi-MDは今のところ、SONYの製品であり、SONYの戦略でもある。
SONYの今出しているウォークマンのラインナップをみていると読めてくる。
SONYには、独自の優れた音楽圧縮技術があり、それが世界標準になればよかったのだが、
さすがのSONYでも、それは無理なようである。
いわゆるメモリー型(ハードディスク内蔵型も含む)プレーヤーは、mp3を採用しだした。
つまり、少し暗中模索しているようにも見えるが、ちゃんと棲み分けをしようと考えているようである。
さらにSONYのずるいところは、一台で、高音質も、mp3も選べるところにある。
つまりユーザー任せというやつだ。
昔と比較すると、外出するときは、ウォークマンのカセットテープで音質は十分であるし、
家にいるときは、よい音楽を聴きたい。
その夢を、ハードディスク内蔵型プレーヤーと、Hi-MDでかなえてくれるのである。
なんと欲張りなSONYと言いたいところだ。
しかし、それは、我々エンドユーザーにとってもよいことだと思う。
何も、家にまでいて、mp3の音楽を聴いているのは、耳にとってはよいことではないだろう。
どこかで、よい音楽を聴くからこそ、外出の時は、ラジオでも聴く感覚で、mp3を聴けばよいし、
そのどこかというのは、主に自宅になると思うが、自宅では、最低、CDの音質を聴ければよい。
昔も、そう使い分けていたではないか。
ただ、今の若い人たちは、家に立派なステレオがあるところは少ないように思う。
そこで登場するのがHi-MDではないだろうか?
いわゆるディスクを取り替えるだけで、一発で高音質となる。
そして、外出するときは、たくさんのmp3の音楽を入れたディスクを持って行けば、
聴きたいときに、聴きたいところで、目的の音楽が聴ける。
おそらく、そういう使い分けで十分であろう。
さらに付け加えるなら、家に立派なステレオがあるのなら、外出用に、メモリープレーヤーがあればよい。
そこにmp3の音楽をたくさん入れておけば、どこかにたどり着くまでは、十分に用をなすであろう。
そういうことを考えると、携帯型のmp3プレーヤーは必要なものである。
少し話はずれるが、携帯型のmp3プレーヤーといえば、AppleのiPodが大人気である。
特にminiの方はとてもじゃないが手に入らない。
確かにこのプレーヤーは、曲数が入るだけでなく、スタイルもよく、ファッショナブルである。
ただ、この会社、どこにいてもiPodがあれば十分と考えている節がある。
それは上記したように、全く音音痴を作るだけだ。
Appleも全く罪な会社である。
しかし、それさえも、カセットテープの延長と考えると腹が立たない。
だから、聞く側が、「これはmp3だ」という認識が必要なのかもしれない。
そうでないと、時代のせいで、真の音楽を見失ってしまうかもしれないからだ。
昔から多かったらしいが、芸能界と言うところは困ったモンだ。
一般人の数倍の確率で、(数十倍、いやそれ以上かもしれないが)麻薬をやっている人がいているようだ。
もちろん、タバコより害の無いとされている大麻などにはむしろ私は解禁賛成派かもしれない。
しかし、現在の法律が禁じている以上、大麻はやってはいけない。
もっと怖いのは、覚醒剤であろう。
覚醒剤は、他人を殺すこともあるが、一度やったら、一生、それから離れられない。
覚醒剤から更生したとしても、本人の意志にかかわらず、フラッシュバックが数十年先でも起き、
いわゆる禁断症状が出る怖い麻薬である。
もちろん、それ以外にも多くの麻薬というものがある。
残念なことに、日本の芸能界と言うところは、それらを手に入れやすい環境が一部にはあるようだ。
特に、音楽を創る人や演奏する人に、麻薬をやる人が多いのは残念なことである。
未だにカリスマとして存在する、亡き某歌手や、今やヒットメーカーとなっている、歌手兼業の人たちがいる。
その人たちの音楽を聴いて、確かに良い音楽だと思うことがある。
しかし、音楽というもの自体、麻薬のような作用を持つせいか、多くの人が、その人たちがいわゆるラリッていたということを忘れる
それどころか、麻薬をやっていたという報道は陰謀であるとまで言い出す人が多いのには驚いた。
私も、曲を作る人の端くれの端にいているが、是非自分も、ラリッて、人々を酔わせる曲を作ってみたいという欲望はある。
しかし、いざ聴く側に立ってみると、それは非常に怖いことではないかと思う。
つまり、通常では発想し得ない発想が、麻薬の力によって作り出され、一般の人たちの前に公開され、
その発想が豊かであるとか言う評価を受けて、そのコンポーザーなり、歌手が評価を高めることもあるのだ。
もちろん、聴く側がよい気持ちになれば、音楽自体は成功である。
そこが最大の落とし穴になっていると思う。
それを賞賛することは、数パーセントの人々かもしれないが、麻薬=良い曲が作れる、と錯覚するのではないだろうか?
それが、やがては、麻薬に縁の無かった人々を、誘惑に負けさすことになるのではないだろうか?
私は、最初に書いたように、大麻に関しては比較的寛容である。
確かに麻薬の一種であるという批判もあるであろうが、覚醒剤と比べると、全くレベルの違う話である。
覚醒剤は、自分も傷つけ、時には人をも傷つける。
だから、現在の法律では区別は難しいかもしれないが、覚醒剤に手を出せば業界から追い出す、それくらいの態度が音楽界にほしい。
いつまでもカリスマだと騒がれたり、ミリオンヒットを連発しても、その大本に覚醒剤があると思うとぞっとする。
そんなもので元気になって、幻覚を見ながら創った音楽に、自分が酔っていたと思うと情けない。
そりゃ、本来ならば出てこないような感性の状態になるのだから、他人にはまねが出来なくて当然だ。
しかしそれは、才能がないものが、背伸びをして、才能のある人と同じことをしようとした間違いである。
音楽の創作というものは才能につきる。
しかも、いつまでもわき出る泉水のような才能がなければいけない。
一瞬の花火ではだめなのである。
だから、クラッシックの世界を見ても、後世に名を残している音楽家は数えるほどである。
もちろん、いわゆるJ-POPSと言われるジャンルでも、ちゃんと、多くの良い楽曲を残し、良い演奏をする音楽家は少なくはない。
その人たちは才能があるのだ。
その才能に追いつくために、薬を使って良いなんて、誰も思っていない。
そうは思っても、何かのきっかけであろうか、麻薬に手を染めて、音楽活動を続けようとする。
これは、はっきりと言って迷惑である。
特に、覚醒剤のようなものに手を出す人の音楽を聴かされる方の身にもなってほしい。
子供たちになんと言って音楽を伝えていけばよいのか分からない。
少なくとも日本は法治国家である。
だから法律を破ったら処罰される。
しかし、罪を償ったら、以後、その人は、許される。
それはそれでよいと思う。
しかし、音楽業界や、放送業界が、もっと断固たる措置をし、少なくとも、罪が発覚した時点で、その音楽家の楽曲を破棄し、放送禁止にすべきである。
そうすることによって、後に続く、誘惑に弱い人たちを減らすことが出来るのではないだろうか?
自分の子供が出来たら、「こんな人が創ったすばらしい曲だよ」と言って、伝えていくことが出来るのではないだろうか?
そして、広い意味での麻薬撲滅に繋がるのではないであろうか?
罪を破った人は、過去の遺産にすがることが出来なくなり、普通の人間としての才能でしか勝負できなくなる。
そこで自然淘汰が起こるのは仕方がないであろう。
音楽は才能の世界であるから。
ふと、自分が今聴いている曲が、創った人が覚醒剤取締法違反で捕まったのを思い出し、嫌悪感に陥ってこんな文章を書いている。
ひょっとして、私たちが、常によい楽曲を聴きたいと飢えすぎているからであろうか?
どこかで歯止めをかけといてもらえば、こんな嫌悪感を感ずることもないのに、と思った夜明けである。
坂井泉水さんと言えば、もちろんZARDのボーカルであり、作詞も担当している。
皆さんもすでにご存じかと思うが、ZARDというバンドは正式には存在はしていなくて、
あくまでも坂井泉水さんを中心としたプロジェクトがZARDなのである。
坂井泉水さんと言えば、皆さんはどんな所に惹かれているのかと思う。
もうライブもあったので、生泉水さんにも出会っているし、生声も聞いている。
もはや誰も、坂井泉水さんなんて存在しないなんては言わないであろう。
それよりも、生泉水さんを見てしまってからの方が、ますます惹かれているのはどういう訳であろうか?
確かに噂通り美人であったし、CDで聴くのと同じ素晴らしい歌声であった。
しかし、それだけでは、ますます魅力にとりつかれている理由にはならないだろう。
陳腐な表現だが、「天使が地上に舞い降りてきた」と、まさしくそんな感じであろう。
天上人と思っていた人が、私たちと同じ人間であったので、ますます親近感が大きくなったような気がする。
まさに人間坂井泉水さんである。
いや、正確には女性の坂井泉水さんであろう。
わざわざ女性と付けるのは、坂井泉水さんに、もちろん人間性の深さも感じるのと同時に、女性としての感性も感じるのである。
それはどの曲のどの部分なんて、野暮な事は書かない。
もちろん、同じファンと言っても、好きな曲は様々である。
しかし男性のファンも、女性のファンも、坂井泉水さんの女性としての魅力にとりつかれているのではないだろうか?
少なくとも私はその一人である。
決して音楽家としてはたいしたことがないなんて、絶対に言わないが、ZARDの曲は女性の曲である。
女性でなければ表せないような感性で歌詞を書いている。
そしてそれが魅力的であるために、男性にも、女性にも好かれるのであろう。
更に男性の私から見ると、そのお姿も魅力的なのである。
見かけが良くて、曲が良くて、歌がうまいと来れば、もうファンから絶対には離れられない。
天は二物を与えたのである。
私はライブ以来、今まで以上に胸をはって言える。
「坂井泉水さんは魅力的な女性である」と。
皆さんもご存じのように、最近の音楽CDを買ってきても、パソコンでは普通に再生されない「コピーコントロールCD」というものが増えていた。
そもそも何故そう言うものが出来たかというと、CDを売る側の言い分としては、パソコンでCDを、多くの人がコピーするために、CDの売り上げが落ちた、と言うことにある。
もちろん、一部ではそう言う作用があったかもしれない。事実、私は、CDを買ってくると、一度聴けば、後はコピーを作っておいて、元のCDを大事にしまっておく習性がある。それで、日常聴くのに使うのは、コピーした方である。
しかし、一枚のCDを大事に持っておくために、同じCDを二枚買うことは絶対にしないだろう。
あくまでも、これは、パソコンの発展とともに出来た新しい習慣であり、何ら、私がCDを買う枚数を減らすものではない。
しかし、「コピーコントロールCD」(以下CCCD)を、知識無しにパソコンで聴こうとすると、勝手にmp3プレーヤーがインストールされ、mp3の部分しか音というか、音楽が聴けないのである。もちろんmp3と言う規格は音楽を圧縮するものですから、本来CDから聴けるはずの音質以下の音でしかない。つまり、騙されているのだ。
そもそも、CDの売り上げが落ちたのは、パソコンでコピーを作られるからという理由で、悪の枢軸の中心であるエイベックスという会社(浜崎あゆみなど、有名歌手が多数在籍)が、勝手に始めたものである。そこからその波が広がっていき、多くの音楽会社が、CCCDを採用するようになった。
一般人の音楽を聴くスタイルというのは様々であるが、例えば自分の机があったとすると、そこにパソコンとステレオを同時におけるスペースを持っている人は少ないと思う。そうなれば、現在の流れから言うと、パソコンのみ、机の上に置くことになり、もちろん、音楽もそれで楽しむようになる。
しかし、高いお金を出してCDを買ってきても、音質の悪いmp3の音楽しか聴けないのであれば、自然と音楽CDを買う枚数が減ってしまうのは当たり前のことであろう。もちろん、その結果、音楽会社の売り上げが落ちるのである。
特にエイベックスという所は悪徳であり、いわゆる通常のCDを示す「コンパクトディスク」のロゴマークの入ったものを買っても、中身はCCCDであったりする。私はDoAsInfintyのCDでそう言う目にあった。そこですぐにCCCDに関する苦情を受け付けると書いてあったエイベックスのどこかの部門の電話番号に電話した。そしてすぐに事情を話すと、向こうにとっては既知の事実であるから、「申し訳ございません」という応答が帰ってきた。
私はmp3など聴くために買ったのではないのだから、すぐに返品を要求すると、「それは受け付けておりません」という答えである。その瞬間に感じたことは、「この会社も長くは続かないだろう」と言うことである。
当たり前の論理で、自分たちが間違いを犯せば、会社として責任を取るのが当たり前と思うのだが、この悪の枢軸であるエイベックスは、その当たり前のことさえ拒否するのである。
責任逃れから言うと、三菱自動車よりもたちが悪い。最低の会社である。
もちろん、パソコンをよく知っている多くの人は、このコピーコントロールのはずし方を知っているし、CD-ROMのドライブ自体が、CCCDに完全対応と言えばよいのか、mp3ではない普通の音楽を再生する能力を持っているものもある。
だから、このCCCDと言うものを作る効果というもの自体、怪しいものである。
しかも、ユーザー側が少しでも良い環境で音楽を聴こうとしているのに、わざわざ音質を落とした音楽しか聴けないCDを売り出す音楽会社は、詐欺行為と等しいと思う。
事実「宇多田ヒカル」などは、音楽プロデューサーである父の意向で、現在の所、一枚もCCCDにしていない。音質の落ちるCCCDなんかでは、「宇多田ヒカル」の魅力は分からない、そう言う言い分であろう。
もちろん、どこまで考えているのかは不明であるが、少なくとも、CCCDではない「宇多田ヒカル」の出す通常CDは、売れまくっている。
当たり前のことであろう。
音楽そのものに魅力があれば、少ないお小遣いでも、コピーでなく、原盤のCDが欲しいのが普通の考え方で、多くの人がそうした結果、「宇多田ヒカル」のCDは売れ続けているのである。
じゃあ、CCCD陣営の売れっ子ナンバーワンと言えば、「浜崎あゆみ」であろう。
残念ながら、彼女のCDの売り上げは落ちていっている。
もちろん、流行というものも左右するのかもしれないが、2チャンネルなどを読んでみると分かると思うが、「CCCDなんか絶対に買わない」という意見が圧倒的に多いのである。
もちろん私もその意見に賛成である。
CDの売り上げを伸ばすために、音楽会社がすべき努力は、「良い音楽」を作ることであり、「音質の悪いCD」を作る事でないのは、誰が考えても当たり前の事であろう。
CCCDなんかに全く興味を示さない、いわゆる「ビーイング」系の歌手のCDの売り上げが伸びるのは当たり前の事なのだ。まあ、B'zやZARDなどは、すでに、知名度が高いので、どうであっても売れそうだが、例えば「愛内里菜」や「倉木麻衣」などの歌手が大きくブレークしたのも、このビーイング(実際のレーベルはZAINかもしれないが)という会社の、音楽に対する姿勢が結果として表れたからであろう。
どの世界でも不況の現在、やはり売れるのは「良いもの」なのである。
何故今更CCCDの話なのかというと、ソニーミュージック系が、CCCDの廃止を考え出したというニュースを見たからである。更には、悪の枢軸であったエイベックスも、お家騒動があり、どうも一番商売だけに熱心である人が追い出され、音楽活動をしている人の中で経営が始まったためか、CCCDに関しては「今後はケースバイケースで対応していく」というコメントまで出されたのである。
まあ、そのニュース記事に書いてあったのは、iPodのような携帯型音楽再生機が流行しているために、MD以上の音質が要求され、必然的にmp3程度の音しかパソコンで拾えないのなら、CDの売り上げ自体に影響が現れるのを懸念して・・・・、と言うような事である。
もちろん、それも理由の一つであろうが、現実として、いくらCCCDを使っても、売れないCDは売れないままであり、売れるCDは売れるという、当たり前の事が、音楽会社の間で共通認識として広がっていったのであろう。
結局、よりよい音楽を作るのが、音楽会社の本来の仕事であるという、当たり前の事が再認識されたのである。
今後も、音楽のコピーというものは、正直言っていくら規制をしても、無くならないと思う。
これに対して、未だに音楽会社各社の多くは、対応策を考えているようだが、それは間違いであろう。
このパソコンの普及で始まった音楽CDのデジタルコピーというものはいつまでたっても収まっていかないものであり、それは一つの文化として認識すべきことであろう。
それよりも大事な事は、良いCDは、少ないお小遣いの中からお金を出しても買いたい、そう言う音楽ファンの心理を理解し、認識した上で、よりよい音楽を作っていく、それが一番大事な事なのは当たり前の事である。
何度も言うが、良いものは売れるのだ。
いきなり訳の分からない題名で申し訳なかったが、これはZARDの曲の一つである。この曲は、私のZARDのコレクションの中でも、特に好きな部類に入る曲である。
「不倫の歌」とか評されることもあるが、実際は道ならる恋でしかも今は片思いという感じだと私は思っている。しかし、かなり強烈なメッセージソングだとは思う。つまり、普通の恋の歌に分類されるのではなく、おそらく坂井泉水さんが誰かに当てたメッセージだと思う。もし、そうでなければ、ただただ坂井泉水さんの創造力に感心するだけではあるが。
まあ、坂井泉水さんのかなりマニアックなファンで、現実逃避型でない人たちは、当時の坂井泉水さんのおかれていた、実生活での環境というものをご存じだと思う。私もその一人であるから、この歌はメッセージソングだと思うのである。歌詞の中に「神戸」が出てくるが、まあ、関西方面と言うことで、現実とも一致するのかもしれない。
突然この曲を取り上げたのは、別に坂井泉水さんの私生活について書こうと思ったからではない。この曲の歌詞のすばらしさを少しだけ伝えておこうと思ったからである。
それも、特に有名なフレーズで、「追伸。あなたの生まれた家を見てきました・・・・」というようなところが出てくる。この感覚というか、感性は、最初は男性の私には少し理解が難しかった。でも、女性のファンに聞くと、この部分は非常に共感がもてるし、とてもうまく歌詞にしていると言うことらしい。
歌詞としてうまく表現出来ているのは、もちろん男性の私でも理解出来る。別に、ストーカーチックなことをしているのではなく、おそらく好きになった人のことを全部知りたかったのか、その人と少しでもおつきあいのあったときに、実家の話でも出てきたのであろう。もちろん、生まれた実家である。
その彼が、この世に出てきて、自分と巡り会い、一時の恋に落ちたと言うことの原点を確認したかったのだと思う。多分、そう言う解釈で合っていると思うが、そこまでの気持ちにした彼が非常に羨ましい。w
そして、そう言うことをすることによって、彼とのことを、永遠に良い思い出として、心の中の引き出しに入れて、鍵をかける、そう言うことかもしれないなと思っている。
まあ、歌詞というものは、それを書いている本人は何らかの気持ちで書くのだが、いざ歌になって世に出てしまうと、得てしてその感情は一人歩きするものである。それは仕方がないし、当たり前でもあると思う。
ただ、もっと抽象的な部分、例えばこの歌では、切なさとか、そう言うものは共通して万人に伝わる。もちろん、伝わらなければ、歌詞を書いて、歌を歌う意味が無くなってしまう。
その意味で先ほど書いたフレーズの「追伸。・・・・」と言う部分は、今の私には十分に理解出来たつもりである。むしろ、最初からこういう感性を理解しきれなかった私の感覚が鈍なわけで、やっぱり坂井泉水さんは、一流の作詞家なのである。「あなたの生まれた家を見たら、なぜかとても懐かしかった」と言う感性を詩に出来るのは、坂井泉水さんをおいて、他にはいないだろうと思う。
追伸。(笑)(^_^;) 現実に、私のことをこれだけ思ってくれる女性がいたなら、そしてもしその思いを知ってしまったら、私は今を捨てて、その女性の心を受け止めるだろうな。w
ZARDと言っても、実質上は、坂井泉水さんを中心としたプロジェクトであり、坂井泉水さんそのものである。
ZARDの音楽の根底に流れるのは、坂井泉水さんが書いた歌詞である。
言い換えれば、坂井泉水さんの歌詞を世の中に出すために曲を付け、彼女自身が歌い、ZARDというプロジェクトがあるのである。
もちろん坂井泉水さんは、初めて登場したのは詩人ではない。
最初にいわゆる芸能界に出たのは女優としてである。
出演ドラマの題名は忘れたが、地方局のドラマで、女郎屋に売って行かれる農家の娘役だったと思う。
その女優業とほぼ同時に始めたのは、カラオケクイーンである。
そのころから、いわゆるレースクイーンもやっていた。
しかし、もちろん坂井泉水さんを音楽の道に導いたのは、カラオケクイーンをやっていたことである。
Beingというちょっとマニアックな音楽集団というか、レコード会社があるが、
そこに認められて、ZARDとしてのデビューを飾ったのである。
蛇足であるが、ZARDとしてデビューしたときは、まだ彼女はカラオケクイーンの契約も残っており、
数ヶ月間は兼業であった。
ファーストアルバムとセカンドアルバムこそ、他人が書いた歌詞の歌も混じっているが、もちろん彼女が書いたモノも多い。
まあ、ファーストとセカンドはミニアルバムであるから、実質上の大きなアルバムは彼女をスターダムへとあげるものであった。
そう、あの有名な「負けないで」である。
この曲の歌詞は非常にピュアで、どんな年齢でも、性別などを問わず共感できる詩であった。
これからは、彼女の詩人としての才能が十分に開花していくのである。
その才能のおかげで、多くの人が元気をもらい、癒やされていくのである。
この歌詞に関しては、いずれ徐々に書いていくつもりであるが、
たぶん書ききれないほどあると思う。
とにかく坂井泉水という優秀な詩人は、こうして生まれたのである。
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