ここを読む人は、何が起こったかを知っていると思うので、結論から書く。
私の考えでは、ミシュランに全ての責任がある。
色々なところを読んだり、2チャンネルを読んだりしていても、様々な意見が出ている。
もちろん、意見を言うのは自由である。
私も参考にはさせてもらっている。
そもそもスポーツとはいえ、F1は、ある意味、ショウー的なところがあるのは否めない。
つまり、観客を楽しませ、テレビの前の人を楽しませる責任がある。
それが一番大切なことで、決して、記録会ではないのだ。
ところが、ミシュランから出たコメントというか、声明を読んでいると、責任転嫁も甚だしい。
ミシュランの言い分はこうである。
「最終コーナーのところにシケインをもうけてくれれば、レースができた。」
本当に人をバカにしたというのはこのことであろう。
何がドライバーの安全だ!
そもそも、レース中に破壊するようなタイヤを作ったのはミシュランではないか。
それなのに、今更「ドライバーや、観客の安全を考えて・・・・」(-.-)y-~~
本当に何様のつもりであろう。
全てのスポーツには、よりよい記録を残す努力をすると同時に、
少なくとも競技者の安全も考えているのは当たり前である。
しかも数レース前に、ミシュランタイヤの破損によって、
トップを走っていたドライバーが、最後の一周で、タイヤがぶっつぶれて、
マシンが吹っ飛んだ。
それをうけて、国際自動車連盟のFIAは、各タイヤメーカーに安全に考慮するように通達を送っている。
その直後なのに、なんと、普段F1では使わないオーバルコースのあるアメリカグランプリに、
全く今までと構造が違うタイヤのみをミシュランは持ってきているのである。
しかも、規定により、2種類しか持ち込めないが、
ミシュランは、二本とも、実戦経験のないタイヤで勝負に出たのである。
もちろん、これは大きな間違いで、F1ドライバーを、実験台としか思っていない証拠である。
ここはFIAの言い分に利があると思う。
つまり、一本は、アグレッシブなタイヤを用意しても良いが、
もう一本は、性能を安全側に降ったタイヤを用意すべき、と言うことだ。
もちろん、ミシュランはそんなことはしなかった。
速く走れるタイヤのみ持ち込み、チームの選択肢を無くした。
しかも、どちらも実戦経験のないタイヤであった。
じゃあ、本当にコースの責任なのか?
F1ではほとんど使わないコースだったから失敗したのか?
それが違うのは、ブリジストンタイヤが証明している。
ブリジストンユーザーのフェラーリのラップは、速かった。
決して、6台しか出走していないためのクルージングではなかった。
ラップタイムがそれを証明している。
つまり、予てからブリジストンは、安全性と性能の両方を追求してきた。
出走した6台が、普段のレースペースで走り、6台のタイヤに何も起きなかった。
つまりこれは、コースが原因でないことを示している。
だから今回の出来事は、ミシュランタイヤの失策なのである。
それ以外の何があるのだ?
もちろん、レースをするために、何か妥協点を求めても良かったのでは?と言う意見は、
観客や、テレビの前の視聴者にとっては大事なことである。
じゃあ、その妥協案が、最終コーナーにシケインを設置しようというのは間違いだ。
観客は、オーバルコースを疾走するF1が見たくて来ているのだ。
もちろん、私もその一人である。
そんなこと関係無しでも、公式予選後に、コースを変更するなんて、身勝手すぎる。
今のF1マシンの多くはコンピューター制御の部分が多い。
だから、オーバルコースの進入速度を機械的に下げればすむ話ではないか?
こんな言い方は悪いが、ミナルディなんて、エンジンもシャーシも良くない。
だから遅い。
それでも彼らは走り続ける。
今回の件は、それと大差ないと思う。
つまり、タイヤの性能が悪いからスピードが出せないで良かったのではないか?
ひょっとしてミシュランは、そのことの方が恥ずかしいと思ったのだろうか?
意地悪いが、私は、オーバルコースの内側を、ミシュランユーザーの車達が低速で走り、
その外側を、ブリジストンユーザーの車が抜いていくのを見たかった。
タイヤも、マシンの一部であり、時としてそれが性能を大きく左右する。
そんな当たり前のことを、企業メンツだけで、出走取りやめにして、
シケインを許可しなかったFIAの責任にするのはお門違いだ。
今回の出来事で、ミシュランの企業イメージは確実にダウンした。
それは、タイヤの性能のみならず、企業の体質を暴露したからだ。
今後、アメリカでのF1文化は、確実に後退するであろう。
それを加速さすのが、ミシュランの声明の中のFIA批判であろう。
ミシュランの取るべき態度はたった一つだったのである。
「全ての責任は、ミシュラン側にある」という声明を出せば、良かったのだ。
それさえもできない企業に、明日はないであろう。
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