September 23, 2004

「死ね」という言葉

悲しい事ですが、ここの記事のコメントにも「死ね」というコメントが入ってきたし、今日受けたメールの中に、「死ね、死ね、死ね・・・・・」と書いてあるメールがありました。
まあ、心理的に、かなり屈折した人なのかもしれないですが、「死ね」という言葉の重さというか、「死」と言う事に対する恐怖心やおそれがないのかと思ってしまいます。

人間が、すべて平等に持っているもの、それはもちろん「死」でありますが、あくまでも天寿を全うしたときに、その「死」が無駄にならないのです。もちろん、病気でも、交通事故でも、爆発事故などでもです。
しかし、一番無駄な「死」というのは、意味もなく他人に刺されたり殴られたりして死んでいく事でしょう。もちろん、自殺も「天寿を全うした」とは言えないのかもしれませんが、私には、ある意味、自殺をする人の心境は理解出来るので、自殺が単純な行為だとは思っていません。
まあ、自殺に関しては、いずれ書くとして、他人を殺すという事の意味の重大さを考えてみたいのです。その行為は、殺された人のすべてを奪う事であり、何ら理由があっても、一つの例外を除いて許されるべき事ではないのです。
先に、その一つの例外に関して書いておきますが、私の今の宝は、女房と二人の子供であり、いわゆる「家族」が宝物です。もし、その宝物が、何らかの理由で命を他人に奪われたときは、私はその殺人者を絶対に殺すでしょう。そのことに理由付けなど、全くいらないのです。少なくとも、生きてきた価値をたたれた宝物、その代償として、殺人者も、生きてきた価値を無に帰します。いくら仇討ちはいけないとか、人間として行う行為ではないとか言われても、この宝物に手を出したものを許して生きていくほど、私の心は広くありません。まあ、そう言う事はないかとは思いますが、ニュースなどで、自分の子供が殺された親のインタビューなどを聞いていると、心の中は復讐心でいっぱいなのに、世間の常識と言うもので縛られているのが悲しいほど分かるのです。それくらいは神様も許してくれると信じていますし、許されなかったら、地獄へ行くくらいの決意でやり返します。

まあ、その唯一の例外を除いて、他人を殺すという事の重大さは、何事にも代え難い悪い行いであると思っています。その殺人者は、そう言う行為を行った時点で、この世に存在する価値が無くなるのです。あえて誤解の無いように書いておきますが、「交通事故」で人を殺してしまうという事は、もちろん情状酌量の部分があってしかるべきでしょう。しかし、もちろん、殺してしまった人の魂に、一生をかけて償わなければならない事だけは確かですが。
また話が横にそれましたので、あくまでも、故意、または趣味的な感情で、更には精神的に異常であっても、殺人者は、一生許されるべきではないと考えます。
もちろん、殺人を犯せばすべて死刑にしろとまでは言いません。ただ、この世の中からは消えて欲しいのです。いや、欲しいと言うより、消えなければならないのです。それは死を意味するものではなく、通常の社会生活から隔離しろという事です。
その罪というものが、弁護士が弁護し、裁判官が決めて良いものなのでしょうか?それも、殺し方や、殺す事情によって、刑罰が変わるなんて事があってはいけないと思います。
殺人者の行く所はどこかというと、一生外に出れない塀の中という風に、一律に決めればよいのです。
日本の無期懲役みたいな生ぬるい判決は、殺人者に適応すべきではないのです。
他の人の生きてきた価値を、一瞬にして無に帰したわけですので、その殺人者は二度と、通常の社会生活に戻してはいけないのです。行く所はたった一つ、つまり塀の中ですね。刑罰で言えば、恩赦のない終身刑というやつです。
終身刑こそ、彼らが受ける唯一の裁きなんです。そこに同情なんていらないのです。たとえ殺したいだけの理由があっても、それを成し遂げた事によって、その殺人者の理由も終わるわけですので、後は世の中では生きていけないのです。生きていってはダメなんです。一生隔離して、外の事なんて知らなくても良いのです。ただただ、三度の食事と睡眠を行うだけで、通常の社会生活なんて、殺人を犯した人には、全く無縁なものになるのです。
それが罪を償うという事であり、人間の生というものの重さは、それくらいあるのが普通だと思います。

私は別に死刑廃止論者ではありません。死刑に値する人は、死刑にすればよいと思います。でも、死刑を免れても、殺人者には、もう、普通の世の中に帰る道はないのです。
私には、無期懲役という刑罰の意味が全く分かりませんし、それが死刑の次に重い刑罰だなんて信じられません。
何度も書きますが、殺人者は、もうこの世には要らないわけですから、死刑でなければ、終身刑しかあり得ないのですね。
それが人の命の重さと言うものではないのでしょうか?

人の命の重さを、刑罰ではかるなんて事は受け入れがたい事です。
それも、たかが、数人の人たちの話し合いで、例えば10年間刑務所に入っていれば許してやるなんて言う、懲役10年なんて言う判決は、殺された人の人権を全く無視しています。
せっかく、何らかの理由で、この世に生を受けた限りは、天寿を全うするのが当たり前であり、また避けては通れない道でもあるのですね。それを一瞬にして絶つ、そのことの重さをもっと日本国民は考えるべきだと思います。
情状酌量なんて、死刑にするか、終身刑にするかの判断基準のみにすべきであり、何年かしたら、この世の中に戻ってきても良いなんて、絶対に許されるべき事ではありません。
日本の刑罰で抜けているもの、それが「終身刑」なんです。

まあ、こう書いていると、何故交通事故は許されるのか、飲酒運転で人をひき殺すなんて許せる事なのか?きっと、そう言う疑問は、この文章を読んでいるとわいてくると思います。
そりゃ、飲酒運転で、それは自分でしでかした事で、それこそ情状酌量の余地はないなんて思われる事でしょう。
もちろん、それも正論でしょう。
しかし、私の考え方では、飲酒運転なんて、それを許す社会がそもそも甘いと思うのですね。
今の法律では、飲酒運転だけでは免許は取り上げられません。そのことを見ても、この日本の社会は、甘いとしか言いようがないのですね。飲酒運転を見かけて検挙すれば、後は一生の免許取り消し、それしかないと思います。
でもそれをしていない今の世の中で、飲酒運転で事故を起こした人のみに罪を問うのも考え物と思うのですね。
あくまでもこれは事故ですので、事故を未然に防ぐ必要があるのです。ですから、お酒を飲んでも車に乗っても良いと考えるような人からは、さっさと免許を一生取り上げればよいのです。それを日本の社会が行わないから、事故が起こるのです。

色々と書いてきましたが、もう一つだけ書いておきたい事があります。
日本の法律の不思議な所で、例えば、麻薬をやっていれば、それは正常な精神ではなかったために、ある意味仕方がないなんて言う考えが、根底に流れているのですね。これは明らかに間違いです。麻薬をやるような人は、精神を自ら異常な状態に放り込んでいるのですから、それを許してやるなんて言う日本の法律、それは大きな間違いだと思います。
まあ、麻薬と一口でくくってしまうのもなんなんですが、私の知る限りにおいて、覚醒剤は絶対に許せません。そんな人は、さっさと終身刑にすればよいのです。ところが、不思議な事に、そんな事をやっても、いい曲を作って、売れれば、いつの間にかプロデューサー気取りの芸能人が一人おりますが、あのグループ自体が、彼の書いた曲を歌う事自体が間違いと私は思います。甘い日本でも、もっとも甘い所、それが芸能界なんですね。
それを国民が見ているから、まねをして覚醒剤に手を出し、人殺しを起こす事もあるのです。だから、覚醒剤に手を出す人なんて許してはいけないのです。それを許すという事自体、どこかで殺人者を作っている事と同じだと思います。

長々と書きましたが、とにかく、私は簡単に「死ね」なんて書き込むやつの神経を疑うのですね。もちろんメールをよこすやつもね。
誰か、人の命より重いものがあれば教えて下さい。

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June 25, 2004

始めます(*^_^*)

クーです。
いつの間にか、こういうものを作るようになってしまいました。(^_^;)
今後、どう発展していくかは分かりませんが、まあ、勝手気ままだと思っていて下さい。

大好きなZARDの話も書きたいのですが、書きたいことが多すぎて、とりとめのない話になりそうです。
まあ、そのあたりは、こういう文章は初心者だと思って見逃して下さい。w

とにかく、ここにたどり着くまでが長かったです。((;・・ヘ)
いつまで続くのかな?(;^_^A アセアセ…

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